News

【2020館長インタビューより】②芹沢銈介「風の字のれん」について

2020年よりインスタグラムにて連載をしていたインタビューをonlineshopでも再録します。
芹沢銈介作品の魅力についてより深め、身近に感じていただければ幸いです。
芹沢銈介美術館museumshop
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「教えてください、白鳥館長」
-芹沢銈介美術館館長に聞く、芹沢銈介作品の魅力とは-

②「風の字のれん(1957年)

staff K)「風の字」は1976年、芹沢先生が81歳の時にフランス・パリのグラン・パレで行われた「芹沢銈介展」のポスターにもなった代表作の一つですよね。私の友人も当時パリに住んでいて展覧会を鑑賞したそうですが、子供心にして衝撃的だったようです。この時のことを教えていただければと思います。

館長)そう、この作品はパリ展のポスターになったことで有名ですね。そのポスターは大きなもので、高さが156cmありますからね。いくつか候補を出し、フランス側が「風の字」を選んでデザインしたと、パリ展実行委員長の四本貴資先生がおっしゃっていました。「芹沢の作品はずいぶんポスターになったけど、あれが一番だね。」とも。文字は「Serizawa」、それに会場名と会期のみ。所在地も連絡先も一切ない(笑)。グラン・パレでの展覧会というのは、つまりはそういう重さを持つものだったんですね。パリ展、今の自分がその会場を歩いたら、どういう感想を持つだろうって思います。陳列も芹沢先生の指揮。陳列はそれ自体が作品だから、きっと芹沢先生の最高傑作の中を歩いているような感じだったでしょう。大衝撃でしょうし、今、芹沢美術館に勤めていること自体、恥ずかしくていたたまれないと思う(笑)。

K)パリ市中に貼られた「風の字」のポスターはきっとフランスの人たちを驚かせたでしょうね。全てに芹沢先生の眼が入った展覧会は感動を与える素晴らしいものであったと思います。

館長)パリ展に出品した「風の字」は、中央に分け目がないものですね。のれんは風に揺れるもの。そこに風の字を染めるっていうことは、風を可視化しているということですよね。「のれんの中ののれん」とはまた別の方法で、のれんをうまく利用する発想ですね。

K)おもしろいですね。「縄のれん文」と同様に「風の字」はミュージアムショップでも人気のあるのれんです。

館長)風って漢字は、ものすごく意味が多くて、我々も日常よく使っている。「風景」とか、「和風」とか。「風化」「風土」「風流」「風情」「風味」など、気がつけば、現代用語でも本当にたくさんある(笑)。身近な漢字ですね。まあごく大雑把にいって、空気とか、雰囲気というような意味でしょうか。でも、用例が多いことでもわかるのは、「風」って人の暮らしにとって、さりげないながら、どこにでもあって、とても大切なものということですよね。「風通し」が悪くなると途端に人間関係は悪くなりますしね(笑)。融通無碍なのが「風」。これは「水」と同じ。芹沢先生は「水」もたくさん作品にしていますけど、若い頃、虚無僧になろうと思った言うくらいだから、とらわれのない、何かひょうひょうとした感覚を好んでおられたんだと思います。

K)「暮らしの美」を見つめ続けた芹沢先生ならではの文字なのですね。

館長)話は少し変わりますが、年をとってやっと少し分かってきた(笑)。若い頃は、自分があって、風があり、水があると思っていた。でも、年をとると、まず風や水があって、その中で生かされてきたんだなと。考えてみれば、当たり前なんですけど(笑)。でも、そういう「我(が)」がとれた目で世界を見ると、まるでこの世は違って見える。芹沢先生の作品って、そういう景色に近いところがあると思うんですよ。人が作ったという気がしない、というか。どうも「我」が抜けているんですよ。自然そのものを見ている気がする。先般富山で、宗廣陽助さんが所蔵されている芹沢先生が描いた梵字作品を見たんですが(註:2019年南砺市市立福光美術館での「芹沢銈介展」)、それはすごかった。サラサラっと描いた下絵なんですが、仏の世界をのぞいている気になりましたから。ロシアでイコンを見たときにも足元が無くなるような、神の世界に吸いとられるような感じがしましたが、似ていましたね…。これは、大変な人だな、と改めておもいました。ここが、私が芹沢先生を恐ろしいと思うところです(笑)。

柳先生のテーマがまさにそれですよね。「我」を超えたものの姿。それを手仕事に見たのが柳先生の「民藝」ですから。シンプルな定義ですけど(笑)。そういうお二人に出会って、「世界の見方」を教わったように思いますよ。お二人に対する畏敬の念は、年をとるたびに、深くなる一方です。

K)柳宗悦先生の『美の法門』、真に美しいものは、美とか醜とかいう二元から解放されたもの、「我」を超える、「他力」ということですね。柳先生のテーマを芹沢先生はまさに実践されていたのですね。

館長)そうだと思う。いつか、もう少し深く考えてみたいですが…。そうそう、「風の字」。まだ、話の続きがあるんですよ(笑)。「阿字観」というのがあるんですね。梵字(サンスクリット文字)の「ア」は大日如来で、その図像を見つめるという真言宗の修行法なんですが、この「阿字観」の図像を芹沢先生は集めているんですよ(「収集品図録6」に掲載)。まあ、本当に芹沢先生の収集も幅が広くて参っちゃうんですけどね(笑)。最晩年の柳先生から、梵字作品の制作を依頼された頃に、まるで示し合わせたように手元にやってきた、と、ご本人は書いているんですが(笑)。1958(昭和33)年頃のことです。芹沢先生の、白地に正円を抜いた中に漢字を表現する一連の作品は、どうやらその「阿字観」の構成を借りたようなんですよ。6年前にふっと気がつきました、それまでは思いもしなかったんですけどね(笑)。ずっと作品と収集品の両方を見てきたのに、全然気が付かなかった(笑)。でも、そう思って見ると、確実にそうだなと思えますね。先生の作品は漢字なんですけどね、そこに何らか清らかなイメージを持つ漢字を据えたんだと思いますよ。芹沢流の「阿字観」だったりして(笑)。

K)正円に漢字一字をはめたような作品はたくさんありますが、収集品からヒントを得ていたのですね。こちらも全く新しい芹沢模様を作り出していますね。

館長)そうですね。でも過日、店舗に芹沢先生の染絵額をたくさん掛けておられた料理店の奥様にお話を聞きました。「お客様が喜ぶだけじゃなくって、従業員も仲良く仕事ができていたんですよ。先生の額絵のおかげでね。本当にありがたかった。」としみじみおっしゃっていました。そうだと思う。なぜなら、芹沢美術館もずっとそうだったから(笑)。そういう人の心を浄化してしまうような魅力があると思う。やっぱりどこか「阿字観」と通ずるところがあるのかな(笑)。

K)毎年美術館にいらっしゃるお客様が「どこの神社仏閣に行くよりも、ここに来ると心が洗われます」とおっしゃっていました。芹沢作品を見ると心が清々とするのはそんな意味が込められているからなのですね。芹沢流の「阿字観」、深いです。

●掲載図録『五十の作品でたどる芹沢銈介八十八年の軌跡』『芹沢銈介の作品2018』『芹沢銈介の収集6 仏画・仏像・神像